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フジテレビ「保毛尾田保毛男」問題から分かること

どうもちまめです。

10月に入りましたが私はいまだに半袖半パンで過ごしてます。(衣替えが怠いとか全然思ってないっす、マジでマジで)

10月になっていますが今日は9月末のフジテレビのとあるバラエティ番組に関する問題についてです。例の如く詳細は省きますがニュースの内容を知りたい方は以下のリンクからどうぞ

www3.nhk.or.jp

「保毛尾田保毛男」問題について

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放送終了直後からネットではかなり話題になり、このはてなブログでも関連記事が多く更新されていました。LGBT団体の抗議に対して社長が次の日には謝罪コメントを述べるという早い対応もありました。

この問題について賛否別れて様々な意見があるように思います。特に今回かなり特徴的なのはマイノリティの間でも賛否両論あるという点でしょう。元々、別にマイノリティが一枚岩で完全に意見が一致しているなんてことはありませんでしたが、今回はある意味多種多様な意見がこの問題を通じて公になった気がします。

さて、この問題に対して私は正直完全に賛否の立場を明らかにできません。

「確かにホモという特定の人間を侮蔑する表現をテレビでしかも笑いものにするのはどうかと思う。しかし、一方で一種のフィクションに対してそこまで目くじらを立てて批判すること自体にそれほどの意義があるのかも疑問である」

というのが率直な私の意見です。

この問題を考える上で重要になるポイントを私なりに挙げるならば

  1. テレビという媒体の特性
  2. テレビ/ネットの対立

の二点があると思います。以下それぞれのポイントについて綴っていきます。

テレビの持つ公共性とそれに伴う自主規制

まず今回この問題が起こったのはフジテレビの番組内の出来事であり、その問題の場は言うまでもなくテレビというメディア=媒介です。テレビのメディアとしての特徴としてその公共性にあると私は考えています。それは特に視聴覚メディアという分野に限定すればより分かりやすいでしょう。

私は以前映画とテレビの規制に関して大学で学んだときに映画(映画館で観る映画)とテレビというメディアの公共性について比べてそれぞれの特徴についてまとめました。映画館で映画を観る場合ほとんどの人はその映画を観ようという意思を持った上で劇場に入る一方で、テレビというのはリビングや部屋という日常空間の中に溶け込むようにあり必ずしも何か特定の番組を見ようという時だけテレビの電源を入れるとは限りません。そして、テレビの法で付け加えるならば作る側もどの年齢層、どの地域、どのような人々が見るのかということまで完全に限定できません。映画ももちろんその側面はありますが、例えばホラーが嫌いな人はわざわざホラー映画は観ないでしょうし、アニメ映画を観たことないという人が積極的にアニメーション映画を観に行こうとはしません。

これは映画だけではなく、ラジオなどと比べても明らかです。そうしたテレビの持つ公共性は実際にどれだけの人が観るかどうかは置いてかなり大きいのです。現在の日本ではテレビの所有率は100%からかなり落ちてきていると言われていますが、それでも少なくとも日本国内の1億近くがリモコンのボタン一つでアクセスできるメディアはテレビの他にないでしょう。

そうした現状の上で、テレビは常に1億とは言わないまでも何百万、何千万という人々に観られる可能性があるということを前提に作られるべきであると思います。その何百、何千の中にはもちろん様々な多様性を持った人間がいるということです。常に見えない視聴者に対して一定の配慮がテレビというメディアにおいては必要であると考えます。

doratdora.com

以前にこうした出来事がありました。これは先述のようにまさに映画/テレビというメディアの特性が如実に表れた措置です。テレビの持つ公共性についてテレビ番組を制作する側の人間はもう少し理解しなければならないと感じます。

 ネットはテレビの敵なのか?

今回の「保毛尾田保毛男」問題の発端になったのはテレビですが、そもそもこのことに対して問題意識を持たせることになったのはネット発信の情報です。このことについて今ではもう当たり前になっていますが、テレビで起こったことが炎上するのは十中八九ネットの場が最初になることについて不思議に思ったことはないでしょうか?

まず、テレビはテレビを批判しないメディアであると私は前々から思っていました。それは様々な理由があるでしょうが、一番はやはりテレビ局が持つ既得権益を守りたいということなのでしょう。だからこそ、地上波のテレビ局は新規参入が一切ありませんし、局同士では甘くなってしまうという状況があるのだと思います。

しかし、この問題先ほども申し上げましたがテレビが云々ではなく、ネットという場がこの問題を問題として取り上げさせることになったのです。私は先ほどテレビとその他視聴覚メディアとの比較であえてネット(動画サイトや掲示板など)を挙げませんでしたが、これはネットというのは既によく知られていますが既存のメディアと異なり双方向に情報が発信されるメディアの特性があるからです。このブログもそうですが、ただの素人がこのように偉そうに意見を述べることもネットの中では自由で且つ利用者全員に平等に与えられています。

つい最近Twitterで教師に暴行する中学生の様子が動画で公開されて、その後その中学生が逮捕されるということがありました。これは単にネットの拡散力が凄いという話ではなく、誰もが情報発信者としてある程度の影響力を生み出す可能性があるということなのです。今回についてもネットが生まれる以前からマイノリティと言われる方はいましたが、それぞれの「声」というのがネットというメディアを通じてある程度の説得力を持ち始めたということになります。2ちゃんねるなどがそういった典型ですが、要するに情報の発信力に関して何でもない一般人とある程度のリソースを持つ既存のメディアでの発信者との差が縮小しているということです。YouTuberやTwitterでの炎上関係もその例の一つでしょう。テレビと違い一方が発信者、他方が受信者という単純構造ではないのです。

であるとするならば、今回のような事案で注意しなくてはならないのはマイノリティからの意見を「所詮はマイノリティだから」と切り捨てるのも「これはマイノリティ様からの意見だから」とあまりに過剰反応しすぎるのもどちらも客観性に一部欠けてしまうという点です。このようなことがエスカレートしてしまうと「ノイジーマイノリティ」としてレッテルを貼られる可能性すらあります。そして、この問題を取り上げる場合にそのマイノリティからの意見がまるで全て正義であるという印象を持たせることになってしまえば、今後すべてのマイノリティに関する議論が前に進まなくなってしまうのではないかという不安もあります。

まとめ

今回はあくまで私は賛否を決めかねるという体で中立という立場で書きました。何かその他ご意見があれば承りたいと思っています。

これでもポイントを絞ったつもりでしたが3千字近いものになってしまいました。私がそれぐらいこのメディアに関する問題に真剣であるということも伝われば幸いです。

ではでは!!