好きなことを好きなだけ、

いろいろオタクがいろいろ書くブログ

【続編】誤解してはいけない日本の「リベラル」の定義

どうもちまめです。

少し前にブログで日本における「リベラル」についてブログで書かせていただきました。おかげさまで多くの方に見て頂けたみたいで、このような記事にも需要が多少なりともあるのだなと思いました。

↓その記事がこちら

chiccinoblog.hatenablog.com

 選挙も明日に迫っていよいよといった感じですが、そんな中昨日のヤフーニュースに面白い記事がありました。

news.yahoo.co.jp

論点としてはおおよそ私が以前に書いた記事と近いですが、こちらの記事は「リベラル」同様に日本の「保守」の意味合いもおかしいということについて書かれています。

やはり行きつくのは、、、

中島さんのお話の一つ一つについても非常に共感する部分が多いですし、私のような素人のペーペーよりも専門的で且つ内容の濃い解説をされています。その中で日本における「リベラル」や「保守」についてのおかしな対立の原因の一つにメディア(主にテレビ)のことを指摘されていました。

これを読んだときに私は

「やはり行きつくのはメディアの問題か、、、」

と感じました。

と言うのも前回の記事を書いているときも実はメディアによる部分についても詳しく書こうと考えていました。今回の衆議院選挙の報道でリベラルと盛んに使いだしたのはメディアですから。

確かにテレビに分かりやすさを求めてきたのは我々視聴者かもしれません。しかし、一方でメディアがそれにたいして無理やりな二項対立、あるいは三極対立を前面に押し出して報道する結果、それぞれの中身について見えてこない「政策論争」ではなく「政局論争」に見えてしまうのです。

政治や議論において「対立」のみが正しいのか

ここでもう一つ面白いと思った記事を紹介します。

bunshun.jp

この記事でも中島さんのお話同様にリベラルに関する解説がされており、更にその議論の先にある「多様性」について書かれています。

私も中学、高校のときから2ちゃんねるやそのまとめサイトなどをサーフィンしていた青春時代(どんな青春だ)を送って、その時一時期「ネトウヨ」と呼ばれるものに傾倒しかけた時期がありました。しかし、そのころからだんだん「ネトウヨ」と呼ばれる者たちの思想や理論について疑問を持ち始め、今に至ります。

そんな私もこの記事にある「ネトウヨ」「パヨク」という対立にうんざりしてきた人の一人です。「白か黒か」「0か100か」のような対立だけではだめだと強く思います。その意味でリベラルの意味に含まれる「寛容」という態度は非常に大事だと思います。

二つの記事で言われているのは、政治というのは0でも100でもない60%だ、あるいは政治というのは「折り合い」だということです。至極当然のことではないでしょうか。

自分と異なる主張の人を敵としてその人を頭から否定するというのは、「ネトウヨ」が(「パヨク」が)相手を誹謗中傷する際に枕詞に「あいつはパヨクだから~」(「あいつはネトウヨだから~」)とつけるのと何ら変わりないです。

純化された枠組みの中でしか議論できないようではいけないと私は強く思います。

まとめ

前の記事の反響がよかったので調子に乗って続編書いちゃいましたが、自分の考えていることを率直に綴りました。

投票日台風が来るみたいですが、無理のない範囲で選挙に行きましょう。(私は期日前投票で済ませました)

f:id:chicci1064:20171021170857p:plain

土曜日のこんな時間にあまり楽しくない記事を載せますがあしからず、、、

私は今から友人と飲んできます!

ではでは!!